2021/03/04 15:04

 「僕がアリだとすると、高浪さんは砂糖の山ですね」と会社の後輩に言われたことがある。

「何、どういう意味?」と問いかえすと「美味しいつっこみどころが満載って意味ですよ」しらっとした顔でうそぶいた。
つまり漫才でいうところの「ボケとつっこみ」のボケ役が私で、つっこみ役が自分。

私が非常にボケているから、いくらでもつっこめて愉快だというのである。
私は決してワザとボケているつもりはないから、人のことを天然のボケ扱いしている訳で、実にけしからん後輩だ。
しかし、どうも憎めない。歳は三つほど下で下町育ちのちゃきちゃきの江戸っ子、雰囲気は「こち亀」の両さんに似ている。
こんなことがあった。後輩は入社以来、給料天引きで貯金をしていたのだが、突然解約してしまった。
そして、何を思ったのか全額引き出し財布をパンパンに膨らませて持ち歩いた。
帰りの電車の中で私は

「現金で持ってるの危なくないか、だいたいそんな大金なんに使うんだよ」

と心配してやったのだが、後輩は

「買うモノがなけりゃお金を持っちゃいけないんですか、そんなことだからお金の奴隷になるんです。

こんなものはドブに捨てるように使っちゃえばいいんですよ、そうだ読書好きの高浪さん、これ“しおり”に使います?」

と一万円札をヒラヒラさせた。


 後輩と泊まりがけで釣りにいったことがある。

朝早く釣り場である防波堤の先端にいくと、風がつよく海も荒れていた。
私は小便がしたくなり海にむかって用をたしていたところ、海の神様が怒ったのか、急に大波がきて頭から飲み込まれた。
人生が終わったと思った。こんな荒れた海に投げ出されたらとても助からない。
でも、チャックを開けたまま死体で発見されるのは嫌だ、それだけは嫌だ!と波に呑まれたわずかの間に考えた。
しかし、私は助かった。

波は高かったが海水量がそれほどではなかったので、さらわれずにすんだのだ。
ずぶぬれになりながらも、私は死に恥をさらさずにすんだ喜びにひたっていた。
後ろで後輩がゲラゲラ笑っている、こちらは死にかけたというのに。

「俺が波に呑まれた瞬間どう思った」

と聞いてみた。

「面倒くさい人だなー、棹でひっぱれたら助けようかなって」


 私が会社を辞めて帰郷してから数年後、後輩が長崎へ遊びに来た。

長崎はこれまで何度か来たことがあるという。
「二十六聖人記念像の裏にある資料館がすごくいいんだよ、行ったことある?」

と私が訊ねると

「二十六聖人ってなんですか?」

と言うではないか、これはつっこみのチャンスとばかりに

「長崎に何度も来てるのに二十六聖人も知らないの?」

と責め立てた。
後輩は

「えー、そんなに有名なんですかー?」

と恥ずかしそうに言うので

「すごい有名だよ、知らない人なんていないよ」

と自信満々に言ってやった。
すると後輩は
「じゃあ、一人目からお願いします」
「はっ、何を?」
「二十六人全員の名前を教えてくださいよ、知らない人なんていないんでしょ」
生意気な後輩である。


 山茶花時雨降る朝にオススメな本がある。

あの二十六聖人殉教者記念像の作者である、舟越保武の画文集『巨岩と花びら』だ。
その真っ直ぐでピュアな人柄にこころが洗われる。
ひねくれ矯正の薬として、後輩に読ませてやりたい一冊である。


2008年11月14日発行の『THE NAGASAKI No623』に掲載


『巨岩と花びら 舟越保武画文集』舟越保武(筑摩書房/1982)