2021/03/05 15:05

 「高浪くーん、いつものおばーちゃん来たよ」と店長から呼ばれた。

当時、私は関東の眼鏡店で働いていて、主な仕事は視力検査だった。

同じ店に一年以上いると、馴染みのお客さんができる。

“いつものおばーちゃん”もその一人で年齢は七十三歳。

最初に接客して以来、月三回のペースで私あてにやってきた。

視力はそうそう変化するものではないし、ましてや七十三歳である。

毎回同じ結果になるのだが、それでもおばーちゃんは検査をやめなかった。

何故か?

これは一種の実験に近い。

おばーちゃん曰く「視力は月の満ち欠けと関係している」。

月が欠けていると視力は落ち、満ちていると視力は上がるという持論をもっているのだ。

三日月のとき、半月のとき、満月のとき、計三回検査する。

さて、どういう結果になるかというと…変わらなかった。

いつも矯正視力は決まって0.4

「おばーちゃん、今日は満月なのに視力上がりませんねー」と言うと、

決まって「おかしいねー、来月もう一回試してみよう」とかえってくる。

それを、もう一年以上続けていた。そんなある日、おばーちゃんが閃いた。

「そーだよ、あんた、潮だよ」

「潮ですか?」

「潮を勘定にいれてなかったんだ」

その日のうちにおばーちゃんから連絡があり

「今度の大潮の満月の日、満潮になる七時二十九分きっかりに検査するから、いいかい七時二十九分きっかりだよ!」

と言いこちらの返事を待たずに電話を切った。

困ったことにおばーちゃんは旧暦で話すので、現在の太陽暦では何日なのか割り出さねばならない。

その辺は店長が慣れていていて調べてくれる。

「大潮の満月の日はと…十五日だね。あぁー、お前その日休みじゃーん、でも休日出勤するしかないね、ヒッヒッヒ」

 さて当日、余裕をみて満潮の十分前から検査をスタート。

そして七時二十九分きっかりに、最後の視力表を読む段階に入った。

「お、おばーちゃんいよいよですね」

「う、うん」

二人は興奮していた。

その結果は…信じられない話だが0.6まで読めてしまったのだ。

「すごい!視力上がったよ」

「うん、うん」

おばーちゃんは涙ぐんでいた。

 帰っていくおばあちゃんの後ろ姿を見送っているとき、店長がポツリと言った言葉が今も忘れられない。

「でも結局さー、眼鏡買ってくんないから売り上げになんねーんだよな」

 

 寒雨(かんう)降る夜の読書に「鈴田の囚人」を推薦したい。

江戸初期、布教のためにスペインから長崎へやってきたスピノラ神父の書簡集だ。

彼は天文学にも優れ、長崎で月食を観察したことでも有名である。

(ちなみにスピノラがローマ大学で師事していたのは、太陽暦をつくった天文学者クラヴィウスであった)

当時の長崎はキリシタン弾圧が激しく、外国の宣教師は追放されたが、スピノラは危険を冒し居残った。

のちに捕らえられ大村市にある鈴田牢に捕われる。

それから二年後、西坂で殉教するまでの間に、彼が牢からイエズス会宛に出した書簡が掲載されている。

これらはイエズス会の未刊原本で、当然スペイン語で書かれている。
本来ならば眼にすることなどできない内部資料だ。
それがこうして日本語に訳されて読むことができるのは、ディエゴ・パチェコ氏のお陰である。
そう昨年亡くなられた二十六聖人記念館初代館長 結城了悟氏その人だ。
氏が残してくださった書籍の数々は、長崎の大きな財産である。

2009年1月9日発行の『THE NAGASAKI No627』に掲載


『鈴田の囚人』著 ディエゴ・パチェコ  訳 佐久間 正(長崎文献社/1967)