2021/04/16 10:17

 昼休みにザ・ながさきを眺めていた時のことである。

Jポップの最新チャートが紹介されていているページを見て愕然とした。

曲タイトル、バンド名、アーティスト名すべて英語なのだ。

日本語が一文字も無い。本名は「愛子」「結衣」だろうに、あえて「aiko」「YUI」と名乗っている。

考えてみれば、これは音楽だけの話ではない。

雑誌名、屋号、Tシャツのデザイン、どこを見ても英語が氾濫している。

本誌にしてもなぜ「THE NAGASAKI」なのか?

「いざ!ながさき」でいいではないか。

ここは日本で、私たちは日本人で、母国語は日本語である。

これじゃアメリカの植民地のようだ!と一人でぷりぷり怒っている所に友人の某氏がやってきた。

年齢は一回り上だが音楽の趣味が近いこともあってよく話をする。

さっそく私は英語にかぶれた日本の将来が心配である、と某氏に訴えた。

てっきり私に賛同してくれるものだと思っていたのだが

「うひょー、あんたそんな原理主義者みたいなことを言っちゃダメだ」

と反論された。

「でも周りを見回してみてくださいよ、横文字だらけじゃないですか。

これをアメリカ人が見たら『ジャップはいまだに俺たちの影響下にあるぜ』って見下されますよ」

「いや、本質的にはまったく影響ないって、あなたも中学高校と六年間も英語習ったんだろうけど話せる?」

「いえ、まったく」

「でしょう、英語が書いてあるTシャツだってみんな意味なんか解らず着てるし、洋楽も歌詞なんか理解せずに聴いてる」

「確かにそういう人が多い…」

「だから日本人っていうのは英語にまみれてるけど、一皮むけば“ド日本人”のまま。

英語をファッションとして取り込んで、勝手気ままに楽しんでるだけだから大丈夫だって…」

という某氏の解説にわたしは大いに納得した。

外国の文化をひょいと取り入れ、さらりと自文化として消化してしまう日本人のしたたかさを再認識できたのだ。

考えてみれば自店の手ぬぐいにも「tatematsuru」と書いているではないか!

 

 「うひょー」が某氏の口癖だった。

雨氷の降る日は暖かい部屋で吉村昭の『海の祭礼』を読むべし。

日本人に初めて英語を教えたラナルド・マクドナルドを描いた小説である。

鎖国時代、通訳になる夢を持ち日本にやってきたマクドナルドは、北海道で捕らえられ長崎に護送される。

外国船で強制送還されるまでの約一年間、オランダ通詞の森山栄之助に英語を教えることになった。

ここで英会話の基礎を学んだ森山はその後黒船で来航したペリーに応対した幕府側の主席通詞を務め、

外交交渉には欠かせない人材になっていく。

 吉村氏の小説がきっかけでマクドナルドの生地、オレゴン州アストリアに彼の記念碑が建てられ、

続いて長崎にもマクドナルドが英会話を教えていた場所(お諏訪さんから松の森神社へ行く途中)に記念碑が建った。

すなわちここが日本における英語の聖地である。

残念なのは、碑のすぐ隣にゴミ捨て場があることだ。

マクドナルドが長崎を去って今年で百六十年。

もしマクドナルドの末裔らが来崎し記念式典をおこなう場合、絶対に水曜日だけは避けなければならない。

その日はゴミの収集日だ。


 2009年2月6日発行の『THE NAGASAKI No629』に掲載されたテキストです

 

 

「海の祭礼」吉村昭著 文藝春秋社