2021/06/11 11:48

 長崎のまつり我が心のベストテン第一位はくんち」でも「精霊流し」でもない中島川まつり」である。

私がよく行っていた頃は、五月の3、4、5日に開催されていたと思う。

まだ長崎大水害(1982)が起こる前の話で、

川沿いの公園は綿菓子や金魚すくいなどの出店で埋め尽くされた。

 小学四年の時、まつり初日でお小遣いを使い果たしてしまった私はあることを思いついた。

「出店」だ。

まつりの二日目、自分の古いおもちゃをごっそりと持ってきて、空いてるスペースにゴザを敷いて出店したのである。

子どもたちがワラワラと集まって来た。

現在のようにネット・オークションがあるわけではない。

中古おもちゃを売っている店などなかったから、子どもたちは大興奮で

「これいくら?」

と群がってくる。

大人たちも何だ何だとよってきて人だかりの山となった。

おもちゃは飛ぶように売れ、一時間ほどで完売してしまった。

買った子どもは飛び跳ねてよろこんでいたが、買えなかった子たちは泣きべそをかいて悔しがった。

「ねぇ、もうなかと」

とすがりついてくる。

あまりに可哀想で私は思わず

「じゃあ、明日も店ば出すけんもう一回こんね」

と言ってしまった。

家に帰っておもちゃをかき集めたがそれほど残っていない、私は涙をのんで新しいおもちゃも商品に加えた。

翌日も大繁盛で押すな押すなの大騒ぎになった。

そこに近所のおばさんが

「あんた、これも売らんね」

と古漫画などを持ってきて商品が勝手に増えていく。

そうしているうちに今度は

「僕たちも隣で売ってよか?」

と子どもたちが自分のいらないおもちゃを抱えてやって来た。

私は「よかばい、じゃあ新聞紙ば敷いてもっと場所ば広ろうすうで」

と売り場を拡大、巨大な中古おもちゃ市場と化していった。

 そんなとき

「坊やたちは許可はとったとね?」

といきなりおじさんに問われた。

私はなんのことか分からなかった。

なんでも、まつりで店を出すには出店料を支払わなくてはならないらしい。

私は新入りたちに店を頼んでおじさんと事務所へ行った。

「いったい幾らかかるとやろうか?」

とドキドキしていると、責任者のおじさんはニコニコして

「子どもからはそがん取られんけん百円でよかよ」

と言ってくれた。

売り場に戻り、全員で商品を売りつくして売り上げをみんなで山分けした。

たいした金額ではないが、それでも気分は最高だった。

この体験で私は商売の楽しさを知り、それが今の雑貨店の経営につながっている。

これもあの時、責任者のおじさんが笑って許してくれたお陰だ。

そもそも、子どもだけの露店を認めてくれたことがスゴイと思う。

大らかでいい時代だった。


 長崎の商売人といえばイギリスの貿易商人トーマス・B・グラバーを思い出す。

幕末の動乱期、倒幕を目指した南国雄藩に艦船や武器を売りさばいて長崎最大の貿易商社を築いた。

しかし、幕府が倒れてしまうと武器は売れなくなり商会はあっさり倒産。

「明治維新とイギリス商人」にはそんなグラバー商会の栄枯盛衰が書かれている。

愉英雨(ゆえいう)が降る中、しみじみ読んでみてはどうだろうか。


2009年5月1日発行の『THE NAGASAKI No.635』に掲載されたテキストです



「明治維新とイギリス商人-トマス・グラバーの生涯-」杉本伸也著 岩波新書