2021/08/27 11:52

 接触事故を起こしたことがある、

しかも相手は小学生。

とは言っても自転車どうしでの話だ。

私の自転車はブレーキの効きが非常に悪く、かなり手前からブレーキをかけ、

しかも足で地面を擦ってやっと止まるという欠陥品だった。

ある朝、私はイヤフォンで音楽を聴きながら自転車で通勤していた。

数十メートル前方から自転車に乗った小学生三人が道いっぱいに並んでやってくるのが見えた。

すぐにブレーキをかけはじめなければ避けきれないかも、

とは思ったがブレーキをかけることができなかった。

それは今聴いている音楽に原因がある。

知る人ぞ知る、イギリスのロック・バンドXTCの名盤『スカイ・ラーキング』。

一曲目「Summer's Cauldron」と

二曲の「Grass」が切れ目なくつながるのだが、

この瞬間が私はたまらなく好きだったのだ。

だからこの箇所になる少し前には音量をグッと上げ、心して聴くのが恒例になっていた。

「そんなこと?」

と思われるだろうが、当時の私にはすべてに優先する最大の楽しみであった。

結果、片手で音量をコントロールしていた為、

ブレーキが間に合わず少年の自転車と接触し両者ともに転倒。

私は

「大丈夫?」

と言葉をかけたのだが、

「この、へたくそ!」

と二まわりも年下の小学生に一喝された。

そして少年は目を三角にして、ぶつぶつ言いながら自転車を起こして去っていった。

無理もない

「なんて不可解な運転をするんだ」

と腹がたっただろう。

私はあまりに自分勝手な理由なので弁解もできず

「これには大人の事情があって…ごめんねー」

と去り行く少年の背中に向かって心の中で詫びた。

 

 豊臣秀吉は突如として「バテレン追放令」を出した。

九州征伐を終えた博多でのことである。

つい九日前までは

「わしはバテレンの弟子じゃ、教会を建てたければ、好きな場所を選べばよい」

などと宣教師たちと歓談していたのに。

現在、秀吉がキリシタンを嫌った理由で一般的なのが「征服説」だ。

スペインなどの列強国は最初布教で民の心を西洋化し、

次に軍艦を差し向け侵略、

ついには植民地にしてしまうという悪評がたったことがあり

これを秀吉が恐れたというもの。

しかしスペインのこんな噂話が秀吉の耳にはいったのはもっと後、

「サン・フェリーペ号事件」が起こってからではないだろうか。

実はもう一つ、まことしやかに語り継がれている話がある。

それは「美女狩り説」だ。

女好きの秀吉は遠征中、事前に地域の美女を探索させ、気に入った娘に夜伽を強要した。

大村・有馬領で美女狩りを行ったところ、貞節なキリシタンの娘たちから夜伽を拒絶される。

怒った秀吉が

「このような教えは断じて許せん!」

と追放令をだしたという説だ。

イエズス会の報告書にも記録されている。

  このような自分勝手な“大人の事情”が

日本キリスト教史の苦難の始まりだったかもしれないという事実に唖然とする。

このエピソードは『豊臣秀吉と南蛮人』に詳しい。

神立(かんだち)降る昼下がりに読んでみてはいかがだろうか。

秀吉がバテレン追放令を出したのはちょうど今くらい、夏の暑い時期だった。


 2009年8月21日発行の『THE NAGASAKI No.643』に掲載されたテキストの再録です

 

「豊臣秀吉と南蛮人」松田毅一著 朝文社