2021/11/05 11:13

 恐いモノが苦手だ。

小学生低学年の頃、テレビなどで恐い映画を見てしまった日「夜中のトイレ」が大問題になる。

子供部屋は二階にあり、トイレに行くには暗い階段を下りなければならない。

なにも考えないように努力しても頭は言うことをきかず、恐いことばかり想像してしまう。

ある夜、どうしたら階段を下りずにすむのかを考えた結果、窓から外にしてしまえばいいことに気がついた。

幸い雨が降っており、真下の部屋に眠る両親に気づかれることなく済ませることができた。

しかし、いつも都合よく雨がふっているわけではない。

雨が降っていない夜に試みたところ、シーンとした住宅にひどく不自然な“雨音”がこだまして、

一発でばれてしまい大目玉をくらったことがある。

そんな「恐がり」は中学生になっても変わらなかった。

平和学習で原爆資料館を見学した際、展示してある痛々しい写真にショックを受け、

出口まで下を向いて何も見ないようにして歩いた。

これがトラウマとなったのか、以来ニュースなどで「原爆」と聞くと反射的に下を向くようになった。

長崎人として平和についてもっと考えなければという思いはあったが、

どうしても恐怖を克服することができなかった。


 二十代なかば、

アート写真に興味をもった私は写真集を買い漁っていた。

神田の古本市で写真集をめくっていたところ、

ある一枚のモノクローム写真にノックアウトされてしまった。

左奥に黒人の水兵が立っていて、右手前にシャボン玉を膨らませた少女がいる。

文字で書いても何がなんだかわからないが、とにかくあまりのかっこよさにクラクラした。

写真のタイトルは「横須賀 1959年」

写真家の名前は「東松照明」。

それから彼の写真集を探す日々がはじまった。

集めてみて驚いたことがある。「米軍基地」を撮っていたかと思うと、

次には「アスファルト」と題して道路を真上から撮る。

新宿の町をスナップしたものもあったし、日本各地の「桜」を撮りまとめたものもあった。

テーマも撮影スタイルもバラバラだ。

でも何故だろう、すべてが一貫していた。

東松照明は長崎も撮っていた。

1102 NAGASAKI

タイトルからして原爆写真だとわかる。

資料館での恐怖が頭をよぎったが「東松照明の写真を見たい」という気持ちの方が強かった。

恐る恐るページをめくってみたところ、下を向くこと無く最後まで見ることができた。

独自のアート・アイで切り取られた原爆写真は、眼をそらすどころか逆に引きつけ凝視させる。

私は、これがきっかけでようやく「原爆」と向き合うことができ、

中学生以来二十年ぶりに原爆資料館へ行く勇気をもらったのだ。

修学旅行の学生たちに混ざって私はメモを片手に全資料をじっくりと見て回った、もちろんあの痛々しい写真も。

三十路になっての、遅れに遅れた平和学習だった。

 

 私のような恐がりは少数派だろうか。
いや、実は結構多いのではないか。
もし同じような理由で原爆を遠ざけているのなら、
東松照明の写真集や写真展をぜひ一度見てほしい。
価値観を変えるような一枚と出会えるかもしれない。
2009年11月13日発行の『THE NAGASAKI No.649』に掲載されたテキストの再録です

「長崎<11:02194589日」東松照明 フォトミュゼ新潮社