2022/01/28 13:42

 私はかつて、レコード・コレクターだった。

 高校の時、歌謡曲の作曲家<筒美京平>の作品に出会って、俄然コレクター魂に火がついた。

卒業と同時に上京してからは、学校が終わると毎日レコード屋に通った。

休日など、朝から晩まで五、六件は梯子したものだ。

レコード屋の店主の紹介でコレクター仲間ができたのだが、その中に五十代のおじさんがいた。

六十年代の歌謡曲にめっぽう詳しく、誰も知らないようなレコードを持ってきては

「これな、ベースがビンビンで、最高やでー」

とニヤニヤしている。

風貌も怪しく、仲間内で(歌)謡怪博士と呼ばれ敬遠されていた。

ある日、謡怪博士から

「あんたの家の前にいるんやけど、遊びにいってもええか」

という電話があった。

追い返すわけにもいかず部屋に入れた。

開口一番

「これ、手みやげや」

と、珍しいシングル盤をくれた。

「えっ!いいんですか?」

「かまわへん、挨拶がわりや」

などと言って怪しく微笑む。

「そうそう高浪はん、最近手に入れたんやけど、これ買わへんか?」

と筒美作品のシングル盤を取り出した。

ずっと欲しかった盤だし手みやげも貰ったから買ってあげたかったのだが、あまりに高額だったので断った。

「そうかー、残念やな」

とまたニヤニヤ。

後はだらだらと数時間だべって帰っていった。

その夜、私は自分のコレクションからすごく希少なシングル盤が無くなっていることに気がついた。

「やられた!」

私がトイレにいっている間に謡怪博士が抜き取ったのだ。

しかし証拠がない。

なんとも悔しいが、珍しいレコードを貰ったことだしそれで良しとするしかない。

最初に手みやげ→レコードを高値で売りつける→売れなかった場合はレコードを盗み取る→自分に優位な交換成立

よくできたシステムだ。


 江戸期の長崎に<嫁盗み>という風習があった。

「女房が欲しい!」

という若者がいると、同じ町内の男どもが他町でこれぞという娘を探して無理矢理カゴに押し込み

「嫁をぬすんだぞー」

と叫びながら若者宅に連れて行く。

女を盗まれた町の男たちは、

「そうはさせるか」

と追いかけて若者の家に押しかける。

すると盗んだ側の男たちは礼儀正しく謝って、お詫びにと酒をすすめる。

双方しこたま飲んで酔っぱらい、追いかけてきた他町の男たちはうやむやの中に帰っていく。

これで何故か「双方合点の上」ということで結婚が成立してしまう。

江戸後期になるとこの風習を利用して結婚を親に反対されていたり、

結婚したくても費用がない男女が<自作自演の嫁盗み>を演じたという。

よくできたシステムだ。

 

 私は、嫁をもらうと同時にコレクターを自ら辞めた。

コレクターは膨大な時間とお金を要する上、世間からは奇異の目で見られる。

結婚とコレクターの両立はとても難しい。

謡怪博士をはじめ私が出会った筋金入りのコレクターはみな独身。

彼らはレコードと結婚していたのだ。

そんなコレクターがどうしても女房が欲しいと思うならば

<嫁盗み>をするしかないだろう。

 小説「甲比丹」は、嫁盗みのシーンから始まる。

残念ながら作者が急逝したため物語は未完に終わるが、

出島を取り巻く人間模様を生き生きと描いた佳作だった。

甘雨(かんう)の心地よい音を聴きながら読んでみてはどうだろう。

 2010年3月5日発行の『THE NAGASAKI No.657』に掲載されたテキストの再録です



「甲比丹」森 瑤子著 講談社