2022/03/26 11:18
小学生の頃、通学が楽しかった。
通っていたのが磨屋小学校(現 諏訪小学校)だったから、観光通りが通学路になる。
私は「路上空想レース」という一人遊びを考えた。
観光通りを「サーキット場」に、自分と周りの通行人を「レーシング・カー」に置き換えておこなう空想のレースだ。
頭の中ではブォンブォンとエンジン音がしていて、華麗なアクセル・チェンジでライバルのマシーン(通行人)を抜きさって行く。
コンパスが長い大人の男性などは、半分走るようにして無理矢理追い抜いた。
そして最後は必ず自分が優勝することになっている。
ある朝、いつものようにレースに熱中していたところ、後方から
「おーい」
と呼ばれ振り向くとクラスメートがゲラゲラ笑っている。
ずっと後ろから私のことを観察していたらしい。
真剣な顔で一人ブツブツ言いながら、歩いたり走ったりする私の不自然な動きが可笑しかったのだ。
次に熱中したのが「路上宝探し」。
早朝、オープン前の観光通りは宝の山だった。
古くなったディスプレイ、商品の空き箱や珍しい形のハンガーなどが店先にゴミとして出されていた。
そういうのを拾って集めるのがとても楽しかったのだ。
だれも持っていない、自分だけのおもちゃコレクションである。
しかし、さすがに高学年にもなってくるとだんだんガラクタの山にしか見えなくなってきて、いつしか宝探しもやめてしまった。
子どものころ溢れんばかり持っていた、想像力や感受性をすっかり失った。
もしあのまま路上で空想レースや宝探しを続けていたら、もっと面白い大人になっていただろうに…と私を考えさせた人物がいる。
長崎 路上観察学の祖、藤城かおるさんである。
路上観察学とは美術家の赤瀬川原平らによって提唱された学問で、路上にある電柱や看板など、いってみれば「どうでもいいモノ」に注目して、深く考察する行為のことだ。
平成四年、東京から移住してきた藤城さんが最初に興味を示したのは電柱などに設置してある「街区表示板」だった。
市内をくまなくあるいて、各町「一番」の表示板だけをカメラで記録していった。
そして街区表示板だけがズラッとならぶ写真展を開催。
しかも、会場は普通に町を走っている路面電車の車内だ。
なにも知らずに乗車した客は
「な、なんだ、これは?」と考え込んだ。
藤城さんは他にも
「ランタン・フェスティバルで吊るされたランタンを全部数える」
「毎日、眼鏡橋を写真に撮ってブログで発表する(二年間続いた)」
「夜中に解体撤去される中央橋歩道橋を連日取材する」
などを実行し周囲を驚かせた。
万糸雨(ばんしう)降る休日の午後。
雨だれに濡れた路上を眺めながら聴きたいCDがある。
シンガーソングライターでもある藤城さんが、平成十五年にリリースした
『マンホールの蓋の上で』だ。
付属のブックレットは、長崎の珍マンホールの蓋図鑑になっている。
こんな角度から長崎を観察した人はいない。
そんな藤城さんが四月、十八年におよんだ長崎の生活にピリオドを打ち関東に戻った。
トレードマークのナス型サングラスに、胸ポケットにはマジックやらカッターやらいっぱい差し込んで、観光通りを颯爽と歩く藤城さんの姿が目に焼きついて離れない。
またいつの日か長崎に戻ってきてほしいと、切に願う。
2010年5月28日発行の『THE NAGASAKI No.663』に掲載されたテキストの再録です
「マンホールの蓋の上で」藤城かおる Loco Music