2022/04/22 10:51
中学の同窓会で二十数年ぶりに同級生と再会した。
学年単位の集まりだったから話したことはないけれど顔だけ知っている友だちもいた。
そんなAが少し離れた席から
「おいのこと覚えとる?」
と話しかけてきた。
見覚えはあったから
「うん、覚えとるよ」
と答えると
「こう言っちゃなんやけどわいさー、中学んときはダサかったけど今は垢抜けたなー」
と言われ面食らった。
彼は明らかに褒めようとしてくれている。
だから私は
「ありがとう」
と明るく答えた。
しかしながら内心では少なからずダメージを受けていた。
確かに私は生まれてこのかたスタイリッシュであったことはない。
そうはいっても何でもいいという訳ではなく、それなりにこだわりはあった。
小学生の時の服はすべて子供服のメッカ「マロニエ」だったし
中学生になったらジーンズは町っ子ご用達の「SANSHIN(三信衣料)」と決めていた。
学生服だって流行のブランド「ジョニーK」を着用。
自分では普通の水準をキープしていたつもりだったのだが…
なんのことはない、あの頃の私はやっぱりダサかったのだ。
つらい事実だが受け入れねばなるまい、Aの意見は客観的なものだ。
でも「ダサい」なんて言われたって大したことない。
もっと酷い悪口を我々長崎人にズバズバと言い放った人物がいる。
フランスの文豪ピエール・ロチ(1850〜1923)だ。
明治期、フランス海軍士官として長崎にやってきたロチの長崎男子に対しての感想はこれ
「何とまあ、みな醜悪で、みすぼらしく、グロテスクなことだろう〜おめかしをするつもりで山高帽をかぶっている者がたくさんいるが、なんのことはない猿芝居の猿のようだ」
長崎娘に向かっては
「みっともない、それに滑稽なほどに小さい。陳列棚の骨董品のような、ポケットモンキーのような、なんだか得体の知れない様子をしている」
とうそぶく。
いずれもロチが書いた小説『お菊さん』からの抜粋だ。
こんな侮蔑的表現が数ページに一度はで出てくる。
気分は最低、何度本を破り捨てようと思ったことか。
でも出来なかった。
というのは、侮蔑と侮蔑の間に挟まれている内容がすこぶる面白いのだ。
例えば「ナガサキには一日のうちで喜劇的な時刻がある」とロチは言う。
それは夕方の五時ごろで
「子どもから年寄りまで住人すべてが真っ裸になり、家の庭や門口など所かまわず、桶で湯浴みをする。この状況で誰かが訪ねてきても、少しもためらわず、決まって青色の手ぬぐいを手にもって桶から出て来て、訪問者に軽妙に対応する」
というのだ。
『お菊さん』は彼の体験記であり、ほぼノン・フィックションである。
細かく観察し解りやすい表現でルポルタージュするロチの文章は、明治期の長崎をリアルに追体験させてくれる。
これは最高に楽しい。
梅雨籠(つゆごもり)で外出できない朝
この最低だけど最高な『お菊さん』をぜひ読んでみてほしい。
因みに、先ほど紹介した「湯浴み」の後半には、やっぱり侮蔑コーナーが登場する。
「日本の女は服を脱いでしまうと、ゆがんだ脚と、ひょろ長い、梨のような格好をした胸とをもった、ちっぽけな黄色い人間でしかない」
後ろからハリセンで「スコーン!」とロチの頭を引っ叩いてやりたいな。
2010年7月9日発行の『THE NAGASAKI No.665』に掲載されたテキストの再録です
「お菊さん」ピエール・ロチ著 岩波文庫