2022/05/06 11:15
中学生の時、クラスで推理小説が流行ったことがある。
アガサ・クリスティやエラリー・クイーンといった外国作家が人気で、みんなで回し読みした。
そんな時には暗黙のルールがある。
先に読んだものが後に読んでいる者に絶対に犯人を言わないということだ。
至極当然のことである。
しかしそれを破った奴がいた。
それもズタボロに。
私がコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』を読んでいたところ、Aがニヤニヤしながら近づいてきた。
「その事件の犯人知っとるぞ」
「バ、バカ、わい言うなよ」
「そんなら弁当のおかずば一個くれろさ」
とAは脅迫をしてきた。
しかし、ここで犯人を明かされてはたまらない。
私はしぶしぶ要求を飲んだ。
Aは複数のクラスメートから同じようにおかずを奪取していく。
しかし堅物のB子は違った。
Aの脅迫に断固として応じなかったのだ。
怒ったAは、ついに犯人の名前を言ってしまう。
確か本はクリスティの『アクロイド殺し』。
B子はあまりの悔しさに泣き出してしまった。
すると、これまで被害にあった者たちがわらわら集まってきてAを取り囲んで激しく責め立てる。
追いつめられたAは逆上し、あろうことか自分が知っている推理小説の犯人を次々に叫びだした。
「『○○殺人事件』は執事のじいさん、『○○の謎』は二階のばあさん、『○○の悪夢』はネコ、『恐怖の○○』はイヌ」。
最悪の結末を迎えたこの事件は『Aの悲劇』と呼ばれ、その後クラスで推理小説を読むものは誰もいなくなった。
マダム・バタフライの原作本を読んで驚いた。
最後、蝶々夫人は死なないのだ。
「そこにはもう誰もいなかった」とだけ書かれている。
それではオペラの蝶々が短刀で喉を突いて自害するという悲劇的なエンディングは、プッチーニの創作だったのだろうか。
調べてみた。
そして犯人をつきとめた。
蝶々さんを殺したのはブロードウェイの人気劇作家、ディビッド・ベラスコというアメリカ人だった。
短編小説マダム・バタフライがジョン・ルーサー・ロングによって出版されたのは一八九八年のこと。
未知なる東洋の国 日本を舞台にした本作を気に入ったベラスコはさっそく劇化を試みるのだが…
「ピンカートンと蝶々が結婚するまでって、原作ではすっ飛ばしてるんだよなー。よーし、ピエール・ロチの『お菊さん』を参考に、俺風に話を作っちゃえ。それにしても<そこにはもう誰もいなかった>っていうラストはどうも地味だなー。よし、日本人と言えばハラキリ!往生際よく逝ってもらいましょう…」。
多分こんな感じ。
ベラスコのご都合オリエンタリズムによって、話はつくられたのだ。
そんな歌劇版マダム・バタフライがロンドンで上演された。
観劇して感激したプッチーニがオペラ化を申し出るのだが、この時もだいぶ物語をいじくりまわす。
まるで伝言ゲームのように、どんどん話が変わっていく。
磨刀雨(まとうう)降る日、図書館で『原作 蝶々夫人』を借りてみては。
短編だから、小一時間もあれば読めてしまう。
ここで提案。長崎県の中学生の必修として、蝶々夫人の話の変化(小説→劇化→オペラ化)を授業のカリキュラムに入れてはどうだろう。
将来、海外で仕事をする時など外国人相手に長崎人らしいウイットに富んだ話をすることができる。
「ハイ、ロナルド調子はどうだ。そういえばユーは、マダム・バタフライを死に追いやった真犯人を知っているかい?」
2010年7月23日発行の『THE NAGASAKI No.667』に掲載されたテキストの再録です