2022/06/17 12:36

 白人の老夫婦が店に入ってきた。

  たてまつるは長崎土産の店であるから、外国人観光客の来店も珍しくない。

その際、必ず聞いている事がある。

「どこの国から来ましたか?」だ。

しかし、今回の夫婦は聞かなくてもわかる。

なぜならば、ご主人のキャップに「ARMY(米陸軍)」の文字が刺繍されていたからだ。

このガタイの良さ、眼光の鋭さ、間違いなくアメリカの元軍人である。

この貫禄からいって、ジェネラル(将軍)・クラスであろう。

奥さんがまた品があってとても美しい。

店内でかかっていたパティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」。

彼女は軽くハミングすると

「若い頃よく聴いたものよ」と微笑む。

まるで映画のワンシーンのようだ。

夫婦で、退役後の漫遊旅行でもしているのだろう。

 「港にはどっちにいけばいいのかな?」。

帰りぎわ、ジェネラルが道を訊ねてきた。

私は港への地図を簡単に書いて

「店を出たらストレート、そしてライトに曲がって、今度はレフト、そしてまたストレート、そこがハーバーです」

と、少々ブロークンな英語で説明した。

ジェネラルはしばらく無言で地図を見ていたが、急に「オゥ!」と声をあげポケットから赤マジックを取り出した。

そしてまず、現在位置である店のところを丸く塗りつぶす。

そして力をこめてグググッと真っすぐ線を引く。

角で右に曲がる際にはなぜか「ヴゥン!」と叫ぶ。

次に左に曲がる時にも「ヴゥン!」。

そしてまた紙が破れるのではないかと思うほど力をこめグググッと真っすぐ線を引き、

目的地の港を「ヴゥ、ヴゥ、ヴゥーン!」と声を張り上げながらグチャグチャに塗りつぶした。

これは恐らく、歩兵部隊に対し攻撃命令を出す時のシチュエーションである。

最後のぐちゃぐちゃは「必ず、敵をせん滅せよ」という強い意志を表したものだ。

地図を見た瞬間、気分がアーミー時代に戻ったのだろう。

「ハッハッハー」と豪快に笑いながら店を出て行くジェネラルに、私は思わず敬礼した。

 

 長崎を漫遊したジェネラルは彼だけではない。
明治十二年(一八七九)にグラント将軍が来崎している。
南北戦争を勝利に導いた人物で、十八人目のプレジデント(大統領)でもある。
彼が早期に南北戦争を終わらせたゆえに、用済みになった武器や船が幕末の日本にドドドッと入ってきた。
これらを購入した薩長が幕府を倒し、明治維新に至るのである。
したがって日本近代化は「グラント将軍のお陰」という言いかたも出来なくはない。
そんなグラント将軍の行動をお付きのアメリカ人記者が密着レポートしたのが『グラント将軍日本訪問記』だ。
連日、長崎の重鎮による歓迎式がおこなわれ、饗宴では最高級の日本料理が「これでもか!」と出された。
今でこそアメリカでも寿司や刺身がヘルシー・メニューとして受け入れられているが、当時はゲテモノにしか見えなかったらしい。
日本食に対する、記者の感想が傑作である。
「先の料理を考えだしたのは、どこかの哲学的な大名であったに違いない。
多分彼は、名誉も華やかさも野心も感情も美徳も節度も誇りも無いことの重大な教えや、
時がどう移り変わろうとも人間は宿命から逃れられぬことを、客人に教えるつもりであったのだろう」。
記者は、メンタルに大きなダメージを受けたようだ、可哀想に。
他にも興味深い話が多々書かれている。
黄雀雨(こうじゃくう)降る夜、ページをめくってみてはどうだろうか。
2010年9月17日発行の『THE NAGASAKI No.671』に掲載されたテキストの再録です


「グラント将軍日本訪問記」ジョン・ラッセル・ヤング著 宮永 孝 訳 雄松堂書店 発行