2022/07/16 11:07

 妻から興味深い話をきいた。

彼女が小学生の時のことである。

漢字テストの最中となりの男子が「おい、答えを教えろよ」と不正な要求をしてきた。

妻は黙殺。

すると男子は思いもよらない奇策に打って出た。

彼はシャープペンの先を自分の靴下に突き刺したのだ。

野球用の薄手のストッキングで、簡単に刺し通すことができたらしい。

男子は「おい、答えを教えないとペンを引っ張って靴下を破くぞ。破れたら親に、おまえのせいって言うからな」と脅迫したのだ。

なんと大胆なアイデアであろうか!人質は自分自身である。

おそらく犯罪史上初の試みであり、発明とさえ言ってもいい。

この前代未聞な脅しに妻は戸惑った。

しかし彼女は自分の正義を信じて、答えを教えなかった。

それから一時おいて「ビリビリビリ」という生地が裂ける音が昼下がりの教室にこだました。

刑は実行されたのだ。

 

 「人質」や「脅迫」で思い出されるのはキリシタン大名の高山右近。

彼はその誠実さと勇敢さで、信長、秀吉、家康ら天下人たちに愛され、また同時に恐れられた人物である。

 事の起こりは荒木村重という摂津(大阪)の国主が、それまで仕えていた織田信長に反旗をひるがえしたことによる。

村重の家臣で高槻城の城主であった右近は、この叛逆をやめるように主君を説得。

その際、自分が信長と通じていないことの証として、村重に妹と三歳の長男を人質に差出した。

この右近の潔さに一時は村重も信長に謝る気になった。

しかし結局は他の部下から焚き付けられて、信長と敵対することを決心する。

右近は武士道精神にのっとり主君村重の最終判断に従うと腹を決めたのだが、信長が恐るべき策に出てきた。

それまで歓迎し保護していたポルトガルのキリスト教宣教師たちを人質に取り

「降伏しなければ、宣教師どもを皆殺しにするぞ」

とキリシタンの右近を脅迫したのである。

村重に味方すれば、心の支えである宣教師たちが殺される。

信長に味方すれば、愛する妹と長男が殺される。

これは究極の選択である。

右近が苦悩して出した結論は驚くべき方法だった。

出家したのである。

村重と信長が脅迫しているのは、あくまで高槻城の城主としての右近だ。

この権利を返上し右近は一キリシタンとして馬に乗って、殺されるのを覚悟で信長の元へ下った。

そして宣教師の保護を頼んだのである。

さて、どうなったか。

信長は大いに喜んで右近を迎え入れたのだ。

宣教師たちも無事解放される。

右近は信長に請われて再度高槻の領主になり、さらに倍の奉禄まで与えられた。

村重の謀反も最終的には失敗におわり、右近の妹と長男も無事解放される。

なんとパーフェクトな結末であろうか。


 右近と長崎の関わりは晩年になってからだ。

徳川時代になりキリシタン追放令が出されたが、従わずキリシタンを貫く右近は家族共々フィリピンのマニラへ国外追放されることになった。

長崎へと連行され船が出るまでの間トードス・オス・サントス教会で過ごしたそうだ。

桜馬場中学校の裏手、現在の春徳寺がある場所である。

この時の話は海老沢有道氏の『高山右近』に詳しい。

白驟雨(はくしゅうう)降る午後、ページをめくってみてはどうだろうか。


 冒頭の話に戻る。

もし妻が右近のように出家という道を選び、学校を辞める決心をして答案を先生に返上していたならば、

男子生徒のソックスは破れずにすんだであろう。

このような解決の道があることを我々は歴史から学ぶことができるのだ!

と妻に力説したら、黙殺された。

  2010年11月12日発行の『THE NAGASAKI No.675』に掲載されたテキストの再録です



「高山右近」海老沢有道著 吉川弘文館発行