2022/08/05 10:48

 体操座りが好きだ。

ひざを抱え込む姿勢がとても心地よい。

だからバスに乗った際はタイヤの真上にある、一段高い席に好んで座る。

体操座りとほぼ同じ状態になるからだ。

しかし、そのせいで笑われたことがある。

二十代前半、就職したばかりの時のこと。

私は通勤のため始発のバスに乗り込んだ。

乗客はまだ誰もいない。

例の特等席に座りボーッと外を眺めていたら、後ろから笑い声聞こえてきた。

会社の女性上司Sさんである。

バスの中でたった一人、ひざを抱えて座っている私の後ろ姿が滑稽に見えたらしい。

「だいたいあの席は振動が強いし、狭くて姿勢もきつくなるでしょ。

満員でそこだけ空いていたとしても、私なら絶対座らないね」とまで言われた。

この件に限らず、普段からSさんとは好みが合わなかった。

価値観がまるで正反対なのだ。

例えば、私は映画『男はつらいよ』の渡り鳥のような寅次郎の生き方が好きだが、Sさん曰く

「冗談じゃないわよ、あんな自分勝手でいいかげんな男、サイテー」と嫌悪する。

食べ物でも、私はカレーライスに生卵を落として食べるのが好きだが、

Sさんは「味が薄くなるじゃない。そもそも美しくないわよ」。

コロッケにおいて私はクリーム派だが、Sさんは北海道出身ということもあってポテト派。

「クリームだなんて、あんなのコロッケじゃないね。

あんたは本物のポテト・コロッケを食べたことがないのよ、オオー可哀想に」と勝手に同情する。

そんな好みが合わないSさんと私だが仲はとてもよかった。

あまりにも正反対すぎて、それが逆に面白かったのだろう。

 

 「日本人は西洋の国民と、はなはだしく違った儀礼や風習をもっている。

まるで、いかにすれば西洋人と順応しないですむのか、故意に研究したかのようだ」

 イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの言葉である。

十六世紀後半、布教のためにやってきたフロイスは、ヨーロッパのイエズス会本部に膨大な報告書を送っているが、

その中に日本人と西洋人の違いについて書かれた個所がある。

彼の観察の視点は実にユニークで、中にはツッコミをいれたくなるものも多い。

例えば飲酒について、

<西洋人は各自が飲みたいだけ飲む。日本人は無理に勧めあうので、ある者を吐かせ、ある者を前後不覚にさせる>

<われら西洋の修道僧は飲酒を節制する。日本の仏僧たちは禁じられているにもかかわらず酒を飲み、しばしば路上で酩酊している>。

これらは別に日本人だけの話ではないだろう。

西洋にもそういう人はいるだろうに。

<西洋の修道士は、みずからの霊魂を救うために修道院に入る。日本の仏僧らは、逸楽と休養とのなかで過ごし、苦労からのがれるために仏寺に入る>。

これは言い過ぎである、そんな人ばかりではない。

<西洋の水夫は漕いでいる間は座り、しゃべらない。日本の水夫は立ち上がり、ほとんどいつも唄っている>

<西洋人は親指で鼻孔をきれいにする。日本人は鼻孔が小さいので小指でそれをおこなう>。

いったい、こんなことを報告してどうなるのだろうか。

 最後まで執筆に明け暮れていたフロイスだが、体調をくずし一五九七年に長崎のイエズス会修道院で息をひきとった。

享年六十五歳。

来日して三十数年間布教にその身を捧げて、その教えを日本人の心に深く根付かせた。

報告書については多少の誤解や誇張、仏僧に対しては大いなる悪意をもって書かれてはいたものの、

それまで謎だった日本人をヨーロッパに知らしめた功績は大きい。

『フロイスの日本覚書』は世界史にとって重要な資料である。

薬雨(やくう)降る夜、ワイン片手に読んでみてはどうだろうか。

路上で酩酊しないよう気をつけて。

 2010年12月10日発行の『THE NAGASAKI No.677』に掲載されたテキストの再録です



「フロイスの日本覚書 日本とヨーロッパの風習の違い」

松田一、E・ヨリッセン著 中公新書