2022/09/17 10:42

 三六〇度回転する展望レストラン「チサン」を覚えているだろうか。 

 市役所通りにある住友生命ビル。

屋上に円盤のようなものが乗っているが、ここがレストランになっていて一時間かけてゆっくりと回転した。

移り変わる景色を見ながらの食事は優雅で贅沢だった。

私は一度だけ自分の誕生日に連れて行ってもらったことがある。

小学生の頃の話だ。

家族と親戚で十名ほどいたであろうか、私は特製ビーフカレーを注文した。

わくわくしながら待っていると、隣の客の席にハンバーグが運ばれてきた。

それがあまりにも美味しそうで目移りした。

まだ注文したばかりであったから、カレーをキャンセルしてハンバーグにオーダーを変えてもらった。

しばらくして料理が運ばれてきた。

父に、母に、兄に、伯母に、伯父に、料理が配られた。

しかし、私のハンバーグだけがこない。

父が催促するも「今、作っていますのでもう少々お待ちください」という返答。

だけども、待っても待ってもなかなかこない。

主役の私の料理がこないものだから、みな箸をつけずに待っている。

重い空気が漂う。

カレーにしておけばこんなことにならなかったのに、と思うと悔しくて悲しくて。

ついに私は泣き出してしまった。

父は怒って「せっかく息子の誕生日で来たのに台無しになったじゃないか」とレストランに苦情を言った。

後日、チサンの責任者が菓子折りを持ってわざわざ自宅まで誤りにきた。

最初のオーダーをキャンセルした私が悪いのに、申し訳ないことをしてしまった。

あの時の担当者の方ごめんなさい。

 

 仕出し屋に、長崎奉行所から260人分の料理の注文が入った。

本日おこなわれた長崎奉行所西役所(現 県庁)から立山役所(現 歴史文化博物館)への引っ越しの慰労会があるという。

大喜びで支度をしていたところ、夜中になってキャンセルの連絡が入った。

ひどい話だ、仕入れた材料はどうなるのか。

これは賠償ものである。

夜明けごろには、このキャンセル事件が町中の噂になった。

この話を聞いた土佐藩の佐々木高行。

「もしかしたら!」と西役所に駆けつけた。

思った通りである。

鳥羽伏見の戦いで幕府軍が惨敗したこと知った長崎奉行は

「奉行所も薩長に占拠されるかも?」と長崎を脱出したのである。

引っ越しはそのカモフラージュだったのだ。

今の市役所通りで大八車や牛車を使った派手な引っ越しパフォーマンスをしている間に、小舟に乗って外国船に逃げ込んだのだ。

弁当の注文まで出すなんて芸が細かい。

この憎い演出をした長崎奉行の名は河津祐邦(すけくに)である。

彼は脱出時、洋服に靴を履き手にはピストルをもっていたそうだ。

ファッションに関しては龍馬よりも先をいっている。

なぜ祐邦がそんなにシャレ者であったのかというと、外交官としてヨーロッパにも行ったことがある人間だったからだ。

目的地のフランスに行く途中、祐邦はエジプトにも寄った。

そこでスフィンクスをバックに撮った使節団の記念写真が残っている。

このように世界をその目で見てきた祐邦は、もはや古い体質の幕府が滅ぶことを予感していたのだろう。

だからとっとと長崎を脱出したのだ。


 龍馬側から描かれた明治維新の書物やドラマは多いが、幕府側からというのはあまりない。

鈴木明氏の『維新前夜』は幕臣から見た明治維新の物語で、とても新鮮に読めた。

雨雪(あまゆき)降る夜にでもページをめくってみてはどうだろう。

   2011年2月4日発行の『THE NAGASAKI No.681』に掲載されたテキストの再録です


『維新前夜 -スフィンクスと34人のサムライ-』 鈴木明著 小学館ライブラリー