2022/10/21 10:27

 クラスは異様な緊張感につつまれていた。

 小学五年生の時のこと。

普段ならば賑やかな給食の時間なのに、その日はクラス全員校内放送が流れるスピーカーに全神経を集中していた。

これから生放送で我がクラス代表の男子三人組が唄うのだ。

曲目はゴダイゴの『銀河鉄道999』。

この選曲についてはクラスで随分もめた。

というのはサビが「本気英語」で小学生が唄うには無理があったからだ。

通常、流行歌の歌詞といえば

「らぁーぶれたーふろぉーむ、かなーだぁー♪(カナダからの手紙)」

のように子どもからお年寄りまで誰でも唄える「日本語のような英語」だった。

それがゴダイゴの場合、サビパートがすべてネイティブ英語で唄われている。

子ども向けアニメの主題歌でありながら小学生への配慮はまるでなかった。

しかし男子三人は果敢にもこの難曲に挑んだのである。

 「それでは五年三組代表で『銀河鉄道999』です、どうぞ〜」

ついに歌が始まった(因みにこの当時カラオケはない、完全なアカペラである)。

「さあゆくんだーその顔をあーげてぇー♪」

三人の息はぴったりでいい滑り出し。

そして問題のサビパート。

「かなでいっさいスリーナインのてぎゅいるどーりんどねむらんだぁ○×じょ※/%にぃ〜??????」

英語といえば「サンキュー」と「ドンマイ」しか知らない。

そんな小学生の脳みそで耳コピーした英語のため、歌はバラバラに空中分解したあげく途中で中断。

大恥をかいた三人は学校中の笑い者になってしまった。

 

 安政の開国直後の長崎でも、いかにも耳コピーな英語が使われていた。

長崎商人たちが遊びに来る西洋人に対し

「ほれておるはアイライキ、おはいりなされはカメン、明日おいではユーカムトマロと申す」

などと話しかけていたそうだ。

しかし、長崎の耳コピー史はもっと深い。

隠れキリシタンの間で伝承されてきた「歌オラショ」である。

洋楽の耳コピーとしては最古だと思う。

 一六世紀、ザビエルによって日本にキリスト教が伝来する。

長崎は「東洋のローマ」と称されたほどキリシタン人口が多かった。

しかし、秀吉の禁教令によって外国人宣教師たちは強制送還され、信者たちも棄教を強要された。

徳川時代まで続いた激しい迫害で、ついにキリシタンは撲滅されてしまう。

しかし、長崎の浦上や五島などの信者たちは、表面上は仏教徒を装いながら隠れて信仰を継続していたのである。

見つかれば死罪。

祈りの言葉などを文字に残すのは危険だ。

したがって後継者に引き継ぐ際は「口伝」になる。

外国語の聖歌も、意味不明の呪文として伝承されていた。

それが「歌オラショ」である。

生月に伝わる『ぐるりよざ』という歌の原曲は一六世紀にスペインの一地方だけで唄われていた

『O gloriosa D omina』

であることを音楽学者の皆川達夫氏が八二年に発見。

四百年もの間、耳コピーだけで唄い継がれてきたのである。

 

 最初の話にもどるが、私が歌謡曲で「本気英語」を初めて意識したのはジュディ・オングの『魅せられて』だった。

この曲もサビがネイティブ英語でまるで唄えなかった。

「どうしてこんな難しい歌詞にしたんだろう?」

と疑問に思っていたのだが、高護(こう まもる)氏の『歌謡曲』を読んで謎が解けた。

歌謡曲がいわゆる洋楽の模倣から、世界標準レベルへと洗練されていく一過程だったのだ。

服部良一、漣健児、筒美京平、阿久悠といった職業作家たちによって劇的に進化していく栄光の日本歌謡史。

リラの雨が降る夜ページをめくってみてはどうだろうか。

ムード歌謡の章では長崎も登場する。

  2011年4月1日発行の『THE NAGASAKI No.685』に掲載されたテキストの再録です


『歌謡曲〜時代を彩った歌たち』 高 護 著 岩波新書