2022/12/10 11:13

「日本人で最初にコーヒーを飲んだのは誰か?」

個人の特定はできませんが、17世紀の長崎出島に出入りしていた誰かである事に間違いありません。

長崎奉行か、オランダ通詞(通訳)か、はたまた丸山遊女か。

この黒い未知なる飲料に対し、江戸期の人たちはどのようなリアクションとったのでしょう。

シーボルト(1823年来崎)のこんな証言が残っています。

「2百年以上も世界の珈琲商人(オランダ人)と交易しながら、未だ日本人の飲料となっていないのは実に驚いたことである。

長崎の余の知人たち(オランダ通詞のことだと思います)はしきりに珈琲を要求するので、それに分け与えるのに不足する程だというのに…」。

一部の熱狂的なマニアはいるものの大多数は

「焦げた匂いがする」

「苦い」

と言って受け付けなかったのです。

コーヒーが浸透するまでにはさらにもう百年。

大正時代に

「カフェー・パウリスタ(麻生雅人さんのブラジル専科(10)を参照)」

で安価なコーヒーが売り出されてからです。

したがって、日本人に珈琲文化が定着するまでにざっと3百年! 

これだけ念入りに浸透しなかったのですから「if」はないのでしょう。

それでもやっぱり残念に思います。

というのは、奥山儀八郎の書で以下の伝聞を読み知ったから。

「長崎の遊女は、珈琲を豆のまま“ぽん”と香炉に入れて香をかいだ」

「長崎通詞たちの間に珍しい珈琲の飲み方あり。

それは、白い蘭の花びらの蜜漬けを珈琲茶碗に入れて熱い珈琲をそそぎ入れると、珈琲の中から白い蘭花がゆらゆらと開き、蘭の香りがする」

どちらも粋な話じゃないですか。

もっと早くから飲まれていれば、こういう日本独自の珈琲文化が花開いていたはずなのです。

 

 私たちが親しんでいる「西洋文化事始め」の多くは長崎からです。

はじめて西洋に触れた長崎人たちがどう感じてどう振る舞ったのか。

又それがその後の文化浸透に影響したのか、しなかったのかを考察するのが私が考える「長崎学」。

しばし、このようなアプローチで日本人について考えてみたいと思います。

  2012年4月28日発行の『月刊てりとりぃ第26号(5月号)』に掲載されたテキストの再録です