2022/12/16 10:30

「日本人最初の写真家は誰か?」

3人います。

江戸の鵜飼玉川・横浜の下岡蓮杖・そして長崎の上野彦馬。

彼ら写真のパイオニアが写真という新技術にいかに向き合いどう振る舞ったのか。

これは日本写真史に多大な影響を及したはずです。

だって無条件に、それ以降の写真家の師匠になるわけですから。

彦馬で言うと弟子は数百人にのぼり、それぞれが故郷や都会で写真館を開きました。

私たちが歴史の教科書で見慣れている新撰組の近藤勇や明治天皇の肖像写真は、江戸で開業した弟子の内田九一が撮影したものです。

彦馬が撮影した坂本龍馬・高杉晋作・グラバーの写真と見比べると、小道具やポーズの決め方など師匠の影響を感じずにはいられません。

 さて、彦馬にも師匠らしき人はいました。

オランダ人で、日本人に医学を教えていたポンペとフランス人写真家ロッシェです。

ポンペからは写真原理を学び、ロッシェからは撮影技術を学びました。

といっても彼らが長崎に滞在していたのは短期間ですし、そもそも

「どうやったらマトモに写真が写るのか」

という非常に基本的なところで彦馬は四苦八苦していました。

ここで問題提起。

それは彦馬がどうやって「風景写真」の構図技術を身につけたのかということです。

「肖像写真」に関してはポンペら西洋人から家族写真などを見せてもらって真似したのでしょう。

ところが風景写真に関しては、ほとんど参考にするものがなかったはずです。

にもかかわらず、彦馬の作品はとてもバランスがいい。

ホントにいい。

例えば長崎港の写真。

手前にベースになるような木を入れて、遠近感がでるように工夫されている。

どの作品もちゃんと構図が考えられています。

彦馬がレンブラントの絵に感銘を受けたという記録があるので、もしかしたら西洋絵画を参考にしたのかもしれません。

ともかく、彦馬のフレーミングは弟子たちに引き継がれていきました。

ここから日本写真史がスタートできたというのは、とっても幸運なことだったと思うのです。

  2012年6月23日発行の『月刊てりとりぃ第28号(7月号)』に掲載されたテキストの再録です