2023/01/13 10:20

 私のコラムの字数は約8百文字。

これを木版で印刷するとします。

木版の基本形は一枚の板に20文字20行の4百文字ですから版木は二枚必要です。

専門の職人が一人で彫って一時間に23文字。

1日8時間労働として4日強かかります。

ということは「月刊てりとりぃ(約2万5千文字)」

を発行する為には版を作るだけで4ヶ月以上かかる計算になります。

木版ではとてもやってられませんね。

 では活版ではどうでしょうか。

専門の職人が一人で組んで一時間に160文字ということですから、二十日もあれば出来上がります。

三人掛かりでやれば一週間かかりません。

これならなんとか発行できそう。


 日本に最初に活版印刷機を持ち込んだのは天正遣欧少年使節です。
でもこの時は普及しませんでした。
字型がシンプルで26種類しかないアルファベットにくらべ漢字は複雑で活字化が困難な上に、字数が膨大だったからです。
どうにかこれらの問題が解決し日本に活版印刷が定着しはじめたのは280年後の明治初期。
普及の立役者は長崎のオランダ通詞本木昌造です。
同時期に江戸や薩摩にも活版印刷にチャレンジしてある程度の成果を上げている人たちがいました。
しかし彼らは世に広げることはできなかった。
それは何故か。
技術の習得はできても商品を拡販していくマネジメント能力がなかったからです。
昌造にも商才はありませんでしたが、彼には強力な腹心がいました。
それが平野富二です。
長崎の下級地役人でしたが、その才能を昌造に買われ行動を共にします。
一時期は坂本龍馬に恋われ海援隊のメンバーとして活動したこともあるとか。
そんな富二が昌造が得た活版技術を引っさげて東京へ進出し、経営を軌道に乗せることに成功したのです。
富二のマネジメント能力はどれくらい高かったのか? 
それは、その後の歩みを見れば納得できます。
富二は後に造船業にも進出し会社を経営しました。
それが石川島播磨重工業、現在のIHIなのです。
 2012年12月22日発行の『月刊てりとりぃ第34号(1月号)』に掲載されたテキストの再録です