2023/02/11 10:40

 時は明治。

アメリカに留学していた八弥青年は大統領選挙のパレードに遭遇します。

何を思ったのか八弥くん、マーチング・バンドに飛び入り参加。

見事にドラムをたたきこなしたそうな。

驚きです。

僅か数年前までチョンマゲをしていた日本人が

ロールなどのドラミング・テクニックを習得していたということですから。

 日本人が最初にドラムに出逢ったのは八弥くんがパレードに参加する二十数年前、幕末期の長崎。

私が営む雑貨店から徒歩10秒の場所にあった海軍伝習所(現 長崎県庁)でのことです。

指導したのはル・イ・ヘフティというオランダ人。

当初、生徒は3人でしたが「私も学びたい」という者が続出

先生は3人に増員されました。

日本人は何故これほどドラム習得に熱心だったのでしょうか。

洋楽に魅了されたとかそういう理由ではありませんよ。

軍事技術として必須だったからです。

武器が「刀」から「銃」に変わり、個人戦でチャンチャンバラバラとやる時代は終わりました。

上官の命令で、軍隊が一斉に「進んで」「止まって」「並んで」「撃つ」ことができなければ戦えません。

そんな時「号令」だと離れた兵隊に聞こえない恐れがあります。

ところが「ドラム」であれば遠くまで、しかも正確に命令が届くというわけです。

 こうしてドラミングを学んだ各藩のドラマーたちは地元へ帰り、その技術を後輩たちに伝達していきました。
高遠藩士だった八弥くんも長崎帰りの先達からこの軍事技術を伝授されたのです。
明治になると文部省の官僚になり、西洋の進んだ教育を日本に導入するためアメリカに研修留学。
日本に戻り留学先で知り合ったアメリカの音楽教育者メーソンと共同で
「蛍の光(スコットランド)」
「蝶々(スペイン)」
「仰げば尊し(アメリカ)」といった洋楽民謡の日本語カバーを収録した
『小学唱歌集』を編纂することになります。
八弥くんとは、日本音楽近代化のフロンティア伊澤修二その人です。
2013年6月29日発行の『月刊てりとりぃ第40号(7月号)』に掲載されたテキストの再録です