2023/02/18 10:39

 作曲家の筒美京平さんに「電信」にまつわるエピソードがあります。

 ある日、京平さんのアパートに作詞家の橋本淳さんから

「デンワヨコセ」という電報が届きました。

京平さんがまだ駆け出しの頃で、アパートに電話がなかったのです。

かけてみると

「明日のレコーディング、忘れてないよね」

という確認の電話でした。

すっかり忘れていた京平さん。

曲はできていたのですが、まだ編曲をしていませんでした。

慌ててその日のうちに仕上げたそうです。

そうしてつくられたのが弘田三枝子さんが歌ってヒットした『渚のうわさ』でした。

邦楽的メロディラインに洋楽的アレンジを施した「和製ポップス」黎明期の代表曲。

そんな日本歌謡史の重要作品が、わずかな時間で慌ててつくられたというのは驚きです。

 

  さて、橋本淳さんが利用した「電報」ですが

この電報を打つ為の電信機を最初に日本人に紹介したのはペリーです。

日米和親条約を結ぶ際、将軍への贈り物として持ち込まれました。

わざわざ電線を架設して公開実験までしたそうです。

この世紀の発明に幕府は実用に動いたのかと思いきや、なんと電信機は倉庫行き。

扱いが難しすぎたのです。

電信が普及するのは明治になってからでした。

維新直後で各地に不満分子がおり

どこかで不穏な動きがあれば瞬時にその情報を伝え、軍隊を派遣する必要があります。

政府はまず明治二年東京-横浜を、三年に大阪-神戸間を開通させました。

翌四年には長崎-上海・ウラジオストク間が海底ケーブルでつながります。

これで日本は世界とつながりました。

さっそく大久保利通がニューヨークから電信を送ったのですが

長崎までは数時間で着いたものの東京までは三日三晩かかったそうです。

「これじゃ意味が無いよね」

ということで明治六年に東京-長崎、八年には東京-函館間も開通。

わずか六年で電信線が日本列島を縦断。

このように驚愕のスピードで整備された「電信」ですが

「電話」はというと一般化するまでに随分時間がかかったそうです。

そういえば京平さんには「電話」にまつわる有名なエピソードもありますね。

 

 松本隆さんから詞を渡された京平さん。

「こんな長い詞には曲をつけられない」

と担当ディレクターに電話で連絡をとりますがつかまりません。

しかたなくトライしてみたところ出来たのが、あの「木綿のハンカチーフ」でした。

 

2013年10月26日発行の『月刊てりとりぃ第44号(11月号)』に掲載されたテキストの再録です