2023/05/12 11:05

 恩師を迎えた磨屋小学校の同窓会が大浦のホテル・モントレで開催されました。

実に34年ぶり。

卒業以来初ということもあって、わざわざ東京から来た女子もいましたし

松本謙君に至ってはカリフォルニアからの緊急参加。

謙君は「BOY-KEN」で知られる日本のHIP HOP界ではベテランのレゲエMCです。

二次会では、突然のリクエストにもかかわらず、DJ  kskのブレイク・ビーツにあわせ

「磨屋最高!」

「磨屋小学校ピース&ラブ」

2曲の即興ラップを披露してくれました。

93年のデビュー以来、数々のアーティストとのコラボレーションし、日々大勢のオーディエンスの前で演じている彼が

「自分のライブよりメチャクチャ緊張した」

パフォーマンスが終わった後に安堵の表情を浮かべていたのが印象的でした。

幼少期を知る同級生の前では演じにくいものなのでしょうね。

BOY-KENが関わった作品でよく知られているのはキングギドラの「公開処刑」(02年)でしょうか。

ドラゴンアッシュのKJをディスった衝撃的な曲。

アメリカ発祥のHIP HOPをスタイルだけでなく、その精神性までも完全に消化したJ-HIP HOPの最重要作品です。

 

 日本史でもっとも有名な「公開処刑」は1597年2月長崎の西坂で刑が執行された「二十六聖人の殉教」です。
秀吉の命により、禁教に応じない外国人宣教師や日本人の信者二十六人が磔にされました。
現在、秀吉がキリシタンを嫌った理由で一般的なのが「征服説」。
スペインなどの列強国はまず布教で民の心を西洋化し次に軍艦を差し向け侵略
ついには植民地にしてしまうという悪評を秀吉が恐れたというものです。
でも実はもう一つ、まことしやかに語り継がれている話があります。
それは「夜伽拒絶説」。
 女好きの秀吉は遠征中、部下に事前に地域の美女を探索させ、気に入った娘に夜伽を強要しました。
大村・有馬領で美女狩りを行ったところ、貞節なキリシタンの娘たちが夜伽を拒絶。
それに怒った秀吉が追放令をだしたという説です。
このような自分勝手な大人の事情が、日本キリスト教史苦難の始まりだったかもしれないのです。
2015年6月27日発行の『月刊てりとりぃ第64号(6月号)』に掲載されたテキストの再録です