2023/05/26 10:42
最初から「軍艦島」だったわけではありません。
もともとは、2ヘクタールほどの岩礁で「端島(はしま)」が正式名称。
海面に露出していた石炭を漁師が発見し、掘り出し始めたのは幕末のことでした。
明治になって商社や個人が本格的な採掘を試みますが、何せまわりは海
台風や大波によってすべて失敗に終わります。
この島は旧深堀藩主・鍋島孫六郎の所有地で、明治23年に三菱社が買い取ったことで「軍艦化」が始まります。
明治期、石炭の採掘と生活環境整備のため5回にわたって埋め立が行われ
ほぼ現在のような島のカタチが出来上がりました。
大正5年の大阪朝日新聞で
「初見の人は往々にして之を偉大なる軍艦とみまがふさうである」
と報道されて以降、軍艦島と呼ばれるようになったのです。
平成27年7月、この島を含めた日本全国の23施設が
「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
これから大勢の観光客が押寄せることでしょう。
それにしてもなぜ、百年くらいしか経っていない明治期の遺物が世界遺産に選ばれたのでしょうか。
千年規模で古い建造物なんて、世界中にいくらでもありますよね。
実は今回の登録理由、「古さ」ではなく「早さ」だったのです。
「アジアでは日本だけが、たった数十年で近代(西洋)化できたって、凄いよね!」
と評価されたわけです。
これは実に興味深いトピック。
近代化のプロセスを知る事で、もしかしたら日本人の「得意技」を発見できるかもしれません。
四〇歳も後半になって
「悪いところを正すよりも、良いところを伸ばそう」
というのが人生のテーマになっていましたから
この登録を機会に「世界史目線」で日本人の良いところを探ってやろうと思います。
最後に宣伝を。