2023/06/23 10:28

 私はかねがね

「東松照明は写真界のマイルス・デイヴィスだ」

と主張してきました。

変化し続ける製作スタイルに共通点を見いだしたからです。

中島川沿いにあった東松さん宅で開かれた誕生パーティーに参加した際

部屋のCDラックにマイルスの『FOUR & MORE』を発見した時の興奮は忘れられません。

「東松照明とジャズ」

のタイトルで一文書きたいと思っていましたから

「これでキマった!」

と心の中でガッツポーズ。

早速「東松さん、これ聴きましょうよ」とかけてもらったのですが…。

超高速の「So What」が流れる中、東松さんがボソッと一言

「このアルバム、うるさくて嫌いなんだよね」。

原稿は一文字も書かれる事なくボツになりました。

 以来、東松さんと会う度にジャズを話題にしては、なんとかネタを拾おうと奮闘しましたが

聞き出せたのは

「中平卓馬に誘われて、セロニアス・モンクやホレス・シルバーのライブを観に行った」

1960年制作の映画『ヒコーキ』のBGMにと奈良原一高がソニー・ロリンズのテープを持って来た」ことだけ。

どちらも貴重な情報ではあるのですが、ジャズに対してあまりに受け身で…

これでコラムは書けません。


 東松さん77歳の誕生日。

崇福寺通りにあった事務所インターフェイスに出向き、3枚のCDをプレゼントしました。

喜寿には紫。

ジャズでパープル・ジャケといえばビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー(1961)』です。

これをおかずに、またしてもジャズ・ネタを投げかけました。

あまりのしつこさに東松さんは苦笑して

「もう、モダンジャズは卒業しました」

と高らかに終結宣言したのでした。

 プレゼントした他の2枚は、ザ・ビートルズ『ラブ(2006)』とマッドリブ『シェーズ・オブ・ブルー(2003)』。
前者はビートルズの、後者はブルーノートの音源をバラバラにしてヒップホップ・フィーリングで再構築したもの。
初期から現在までの作品を「チャンポンして展示する」
東松さんの「曼荼羅シリーズ」と同じ製作スタイルであり
そこに共感してくれることを期待してのセレクトでした。
果たして東松さんがどういう感想を持ったのか? 
もう本人に確認することは叶いませんが、恐らく苦笑しながらこう言ったでしょう。
「ビートルズもブルーノートも卒業しました」
2016年7月2日発行の『月刊てりとりぃ第76号(7月号)』に掲載されたテキストの再録です

在りし日の東松さん(筆者撮影)