2023/08/31 11:32

 フランシスコ・ザビエルと聞くと、優等生の方は
「日本にはじめてキリスト教を伝来した南蛮人」
と答えることでしょう。
劣等生だったぼくには
「歴史の教科書で、いたずら書きしがいのあった外国の人」
ぐらいのイメージしかありませんでした。
長崎人としてこれではイカンと何冊かのザビエル伝を読んでみることに。
すると、じつに興味深い人物であることがわかってきたのです。
ここからは演出上、ぼくはザビエルの幼なじみになります。

<少年時代>
 僕「フランシスコ、今日君の家へ遊びにいっていいかい?」 
ザビエル「いいよ」
 行ってみたら驚愕しました。
なぜなら、そこは「家」ではなく「城」だったからです。
ザビエル家はいわゆる名家で、父ファンはナバラ王国(現スペイン)の首相にまでなった人。
ピレネー山脈の麓に周回四里のザビエル城をかまえていました。

<青年時代>
 フランシスコは名門パリ大学に進学します。
数年後、ぼくはパリに旅行してフランシスコを訪ねました。
すると彼はもはや学生ではなく、同大学の助教授として講義をしているではないですか。
しかも題目はアリストテレス哲学!
なんてインテリジェンスな男でしょう。

<ゴアから>
 ある日、フランシスコから手紙がきました。
それによるとフランシスコはイエズス会という組織に入り、現在ポルトガルの植民地であるゴア(インド)にいると。
そこで言葉も通じない異教徒の原住民にキリスト教を伝導しているというのです。
パリ大学で助教授までしていた男が、何故そんな苦労をしなければならないのでしょうか?

<マラッカから>
 フランシスコから興奮した様子の手紙が届きました。
マラッカ(マレーシア)でヤジローという日本人に出会ったそうです。
日本人はこれまでに会ったどの人種よりも優れている。
キリスト教を布教するのに、こんなにふさわしい国はないから行くことにした。
まず京に上がり天皇にキリスト教を説き、トップダウンで一気に広める。
同時に中国皇帝への紹介状をもらい、中国への布教のきっかけをつくる。
堺に貿易商館を建て、日本とポルトガル間に定期航路を開き、ビジネス面でも発展させていく
という遠大な計画が書かれていました。

<日本より>
 最後の手紙が届きました。
日本は戦乱状態にあり布教できる時期ではなかったと。
先に中国に伝道し、その中国の影響力をもって日本も布教していく計画に変更するというのです。
しかし現在中国は鎖国しており、ポルトガル商人三人が捕まっているというではないですか。
その救出もするというのですから、危険きわまりない計画です。
僕はフランシスコの無事をナバラの地から祈りました。
しかし祈りは通じず、フランシスコは中国に入る手前の上川島で熱病にかかり病死してしまったのです。
 フランシスコは信仰に命をかけました。
それはただがむしゃらに、というわけではなく実に論理的で、合理的で、戦略的。
世界をまたにかけたダイナミックな生き様でした。
幼なじみとしてフランシスコのことを誇りに思います。

 それから四百年後。
そんなことを知る余地もない日本に住む中学生のぼくは、C-C-Bを口ずさみながらザビエルの顔に落書をしていました。

 山田洋二監督の「男はつらいよ」シリーズに海外ロケがあるのをご存知ですか?
四一作目「寅次郎心の旅路」場所は音楽の都ウイーンです。
「今度の寅さんウイーンだって」と友人から聞いたときはあまりのミス・マッチに心配になりました。
そもそもどうやって飛行機嫌いの寅さんをウイーンに連れていくのか?
よほどの脚本でなければ映画がリアリティのないものになってしまいます。
実際に観てみると…
 みちのくのローカル線で、飛び込み自殺に失敗した心身症の男(柄本明)を寅さんが一晩面倒みます。
するとその男はすっかり寅さんになついてしまい、トイレにまでついてくる始末。
そして寅さんにこんなお願いをします。
「寅さん、ぜひ一緒に行ってほしいところがあるんです」
「おう、どこだ」
「ちょっと遠いんですけど…」
「いいよ、どこだ、言ってみろ」
「ウイーンです」
「湯布院か、確かに遠いな」
「いいえ、ウイーンです」
「だから湯布院だろ、九州の?」
これがきっかけです。
この力が抜けるような、寅さんらしい展開がたまりません。
 フランシスコ・ザビエルが京に上るとき、長崎で唯一立ち寄った場所が平戸。
南蛮貿易港として栄えていた十六世紀、ポルトガル人には「フィランド」と呼ばれいたそうです。
どうです、寅さんをウイーンよりもっと北の国に連れていけそうな名前じゃありませんか?

 高校のクラスメートに、Aという男がいました。
はじめてAを見たときは絶対に関わるまいと思いました。
長身で目つき鋭く、学生ズボンは「ドカン」といわれるダブダブに大きいやつで、上着は長ラン、頭はギラギラのリーゼント。
当時の人気漫画「BE-BOPハイスクール」に象徴される不良学生そのもの、いわゆる「つっぱり」です。
しかしつき合ってみるととても面白い男で、不良というよりはむしろ善良なのです。
ある日の休み時間に仲間5〜6人で話している時、Aが突然目をキラキラさせてこんなことをいいだしました。
「おいの秘密ばしりたかや?(おれの秘密をしりたいか?)」
「おお、なんやなんや(えっ、なになに)」
「わいたち絶対だいにもいうなよ(おまえたち絶対に誰にも言うなよ)」
「おお、いわんいわん(うん、言わない言わない)」
「実はおいんがたカトリックさね(実は俺の家はカトリックなんだ)」
「おおー(へぇー)」
「そいでおい、カトリックネームばもっとっとぞ(それで俺、カトリックネームをもってるんだ)」
「おおーー(へぇーー)」
「フランシスコっていうとさね(フランシスコっていうんだよね)」
「おおおーーーっ!!!(えええーーーっ!!!)」

 フランシスコ・ザビエルはスペイン国王に、こういうメッセージを送ったそうです。
「もしスペインが日本を占領しても日本人は好戦的で貪欲だから船は拿捕されるだろう。
食物が乏しいため、飢え死にするか殺される。
だから占領なんて考えない方がいい」と。
破竹の勢いがあった大航海時代のスペインですから、黄金の国といわれた日本の占領を考えていたとしても不思議ではありません。
このザビエルの手紙がなかったら、良港長崎はスペインの植民地になっていた可能性だってあります。
もしそうなっていたら「長崎カステラ」と「長崎チャンポン」に並んで「長崎パエリア」も名物郷土料理になっていたかもしれません。
こんなことを考えてしまうぼくは、脳天気で食いしん坊のコンコンチキだ。

2006年3月1日発行『ナガサキコラムカフェAGASA第2号』に掲載されたテキストの再録です